green台北 Page 2/5

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photo01
1999/08/19
 清朝時代、水上交通の要衝だった淡水河と台北城内の間に軽便鉄道が引かれていました。当時の古い写真を見ると、トロッコの線路が西門を通って城内に入っているのが分かります。しかし、西門はいわゆる「日據時代」に総督府によって真っ先に撤去されてしまい、今はもうその姿を見ることはできません。かつて門があった場所は、現在は小さなロータリーになっています。
photo02
1999/08/19
 取り壊されてしまった西門の代わりになるカットはないか…まず思いつくのは国民党本部前にある東門と愛国西路の南門ですが、今度はいったい何を勘違いしたのか、蒋政権時代に大陸中国の宮殿風の建物に改築されてしまって、唯一原型を止めているのは北門だけとの由(写真)。でも、北門って背後に高架道路が隣接していて、あまり撮影には向いていないんですよね(^^;。
photo03
1999/08/19
 1897年頃の台北市内の地図と現在のそれとを重ねてみると、西門を出たロッコの線路は、中華路をしばらく北上した後、武昌街付近を真っ直ぐ淡水河へ向かっていたようです。現在の西門町の賑わいからするとちょっと意外な感じがしますが、清朝末期、このあたりは一面に湿地が広がっており、市街地はむしろ萬華([舟孟][舟甲])や大稲[土呈]の周辺にありました。
photo04
1999/08/19
 今も昔も変わらない姿でじっと歴史の流れを見つめ続けてきた母なる川、淡水河。当時、淡水河は台湾産の茶や大陸の物資を積んだ多数の商船が往来しており、その繁栄ぶりは「一府、二鹿、三萬華」とうたわれたといいます。ちなみに、「府」は府都だった「台南」、「鹿」は今の「鹿港」のこと。

 


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