green■台北 Page 1/5

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photo01
1999/08/18
 劉銘伝の建設した鉄道は、八堵〜基隆間に山越えの区間があり、獅球嶺に台湾で最初の鉄道トンネルが造られました。それが獅球嶺隧道で、今も基隆市の郊外にひっそりと残っています。ちなみに、反対側の台北寄りの出口はもっと立派で、劉銘伝自筆の門額「曠宇天開」も修復されて健在とのことですが、残念ながら軍用地の中にあり、一般には公開されていません。(T_T)
photo02
1999/08/18
 獅球嶺隧道のある崇徳路は、他の道とは独立した線形で建設されており、勾配も比較的緩やかであることから、清朝時代の線路敷をそのまま生活道路として転用した可能性が高いと思われます。
photo03
1999/08/18
 劉銘伝の鉄道は、大量輸送機関としてはいささか勾配急峻、曲線過多で、線路自体の規格も低かったため、のちに大部分の区間が近代測量による新路線に切り替えられています。西部幹線の基隆〜八堵間が現在の竹子嶺経由のルートになったのは1898年頃のことですから、崇徳路=清朝時代の旧ルートだとすると、おそらく私が過去に歩いた中で最古の廃線跡です。
photo04
1999/08/18
 劉銘伝の鉄道で活躍していた蒸気機関車(騰雲號)が、二二八和平公園に保存されています。1998年の鉄道記念日にきれいに整備されたばかりなので車体はピカピカ。現在、これのレプリカを製作して復活させる計画が進んでいるようですね。
photo05
1999/08/18
 清朝時代の台北駅は、現在の台北車站がある場所よりも北西の、大稲[土呈]と呼ばれる地区にありました。ちょうど台北市立中興医院が建っている付近がそれに相当します。
photo06
1999/08/18
 旧台北駅跡に「清臺北火車票房舊址」の碑があるというので、それらしき場所を当たってみたのですが、探索は思った以上に難航。やっと見つけた記念碑は、市民大道沿いの壁面に半分埋め込まれるような形でひっそりと立っていました。しかも、歩道を嵩上げした際に台座もろともコンクリートで固められてしまって、碑文の下の方の字は、ほとんど判別不可能です(おいおい。(^^;)。

 


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