green蘇澳 Page 2/4

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photo01
2002/08/23
 機務分駐所から先の区間は列車が走らなくなってからもう随分と時間が経つのか、軌道上は草がのび放題で立派な(?)廃線状態となっていました。日本では見た目は同じ廃線でも、レールが残っているときは「休止線」(書類上は存続)、撤去されていれば名実共に「廃線」であるケースが多いのですが、台湾の鉄道の場合はどうなんでしょうね。
photo02
2002/08/23
 レールをたどっていくと前方に小さなトンネルがぽっかりと口を開けていました。通常なら切り通しにしてしまうような箇所ですが、真上に忠勇廟があるために隧道区間となったようです。資料によるとトンネルの竣工は1981年とのことで、どうも完成してからロクに使わないうちにポイされてしまったみたいですね。一応"臨港線"ではあるのですが、この写真だけを見るとあたかも山岳鉄道の跡を歩いているかのような錯覚に陥ります。
photo03
2002/08/23
 トンネルの出口付近の風景。レールが完全に残っているので、廃墟物件として見た場合の雰囲気は悪くないです。鉄道の廃線跡の場合、線路がないとどうしても単なる"草むら"になっちゃうんですよね(^^;。
photo04
2002/08/23
 臨港線はさらに蘇澳港へと続いていますが、例よって港湾内は関係者以外立入禁止のため、残念ながら廃線跡の探索はここまで。蘇澳港の整備拡張は、西部幹線の電化や中山高速公路の建設とともに、1970年代に蒋経國総統が推進した「十大建設」の一つに数えられるプロジェクトなのですが、工事完成後も蘇澳に寄港する船舶の数はわずかで、正直なところあまり成功したとは言えないようですね。蘇澳臨港線が廃棄された理由もおそらくそのへんにあるのではないかと思います。
photo05
2002/08/23
 周辺の位置関係。向かって左手が蘇澳站、右手が蘇澳港になります。洪致文さんの『台灣鐵道印象(下)』366頁の写真によると、真ん中を横切る道路は昔はもっと広かったのですが、後に中央分離帯に部外者の進入をブロックするための柵が設置されたようで、現在は以前の半分の幅員しかありません。昇降式の遮断機も撤去されてしまい、片隅の朽ちた「停看聴」の標識だけがこの場所がかつて踏切であったことを物語っています。

 


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