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(01)ドリーム交通モノレール
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(02)国鉄武蔵岩井支線
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(03)国鉄武蔵岩井支線
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(04)水根貨物線

 

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(05)日本ニッケル鉄道
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(06)ドリーム交通モノレール
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(07)天竜川の専用線
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(08)西武鉄道安比奈線

 

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(09)米軍相模補給廠専用線
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(10)水根貨物線
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(11)国鉄下河原線
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(12)入川の林用軌道

 

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(13)荒川沖自衛隊専用線
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(14)ドリーム交通モノレール
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(15)奥多摩湖ロープウェイ
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(16)奥多摩湖ロープウェイ

 

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(17)いろは坂のケーブルカー
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(18)天竜川の専用線
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(19)ドリーム交通モノレール
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(20)いろは坂のケーブルカー

 
 



 ●撮影ノート


 
ドリーム交通モノレール(01)(06)(14)(19)
  神奈川県鎌倉市/横浜市戸塚区
 
1966.05.02  大船〜ドリームランド間開業
1967.09.27  休止
 
 JR東海道本線の大船駅と横浜ドリームランドの間を結ぶモノレールは、1966年(昭和41年)5月1日に華やかに開業しました。当時、まだモノレールは珍しい存在で、関係者の期待は相当なものがあったようです。しかし、その後東京陸運局から橋脚の強度不足、車両重量超過などを指摘され、翌年の秋に営業を休止。以来、軌道上を列車が走ったことは一度もありません。
 大船駅(駅舎は老朽化のため1992年に解体)を出たモノレールは、空に大きな弧を描いて雑木林の中へ。途中、アップダウンを繰り返しながら、森を駆け抜け、住宅街をかすめて終点のドリームランドへ向かっていました。
 ちなみに、このモノレールの廃墟は友人のK氏がいたくお気に入りで、何度か氏とともに現地へ足を運びました。氏の話によると、旧ドリームランド駅には、開業からわずか1年あまりでお払い箱となったモノレールの車両が長らく放置してあったそうです。そのドリームランド自体もまもなく閉園ですね。時代の流れを感じます。
 
 
国鉄武蔵岩井支線(02)(03)
  東京都あきる野市
 
1925.09.20  武蔵五日市〜武蔵岩井間開業(五日市鉄道)
1944.04.01  国に買収
1961.04.17  電化
1971.02.01  旅客営業廃止
1982.11.14  廃止
 
 JR五日市線武蔵五日市駅の手前で右側に向かって分かれていく怪しげな築堤…かつて大久野を経て、日本セメント(現太平洋セメント)西多摩工場のあった武蔵岩井までを結んでいた武蔵岩井支線の跡です。
 現地を訪ねたのは1993年(平成5年)秋のことですが、支線が分岐する旧三内信号扱所付近では、複線用の架線柱の中央を境に左側の生きた線路と右側の死んだ線路が奇妙な対比を見せていました。ただし、隣接する武蔵五日市駅付近を高架化する工事が進んでおり、この光景も過去のものになりつつあります。
 
 
水根貨物線(04)(10)
  東京都奥多摩町
 
1952 頃  氷川(現奥多摩)〜水根間開通(東京都水道局)
1954.12.07  専用鉄道として認可
1957.05.10  小河内ダムの資材輸送完了
1963.09.21  西武鉄道へ譲渡
1978.03.31  奥多摩工業へ譲渡
 
 JR青梅線の終点、奥多摩駅からレールはさらに奥へと続き、この水根貨物線につながっています。もともと小河内ダム(奥多摩湖)建設のために敷設された貨物線だったのですが、ダムの完成後もなぜかレールは撤去されませんでした。
 使用停止から30年あまり…線路が徐々に奥多摩の森に没しつつある中、ところどころに錆びたレールが顔を出していて、好き者にはこたえられない雰囲気を醸し出していました。
 
 
日本ニッケル鉄道(05)
  埼玉県神川町
 
1941.09.30  丹荘〜若泉(西武化学前)間開通(日本ニッケル)
1947.05.01  地方鉄道に変更
1962.01.01  上武鉄道に改称
1972.12.31  旅客営業を廃止、再び貨物専業に
1986.12.31  廃止
 
 かつてJR八高線丹荘駅から神流川に沿って上流の岩泉(西武化学前)までの間、約6kmあまりの道のりを小さなディーゼル機関車に牽引された列車がトコトコと走っていました。1941年(昭和16年)に日本ニッケルの専用線として建設されたこの鉄道は、1947年(昭和22年)に地方鉄道としての免許を取得して旅客営業を開始しました。その後、日本ニッケルの製造部門が西武化学工業(現朝日工業)に買収されたことを機に残された鉄道部門が独立。社名を上武鉄道と改称し、1986年(昭和61年)12月31日に廃止となるまで、わずかばかりの旅客と貨物を乗せて細々と営業していました。
 貨物ヤードから小さな機関車が消えた丹荘駅…その広々とした構内の片隅にはプラットホームの土盛りが今も残っています。
 
 
天竜川の専用線(07)(18)
  静岡県浜松市
 
 −  敷設時期不明
1993 頃  使用停止
 
 戦後の高度成長期、国鉄の貨物輸送が全盛だった頃の東海道本線には各駅から無数の専用線が分岐していました。天竜川駅にあった日本通運の専用線もその一つ。駅から線路沿いに東京方向へ歩いていくと、田んぼと工場が混在している場所を抜け、天竜川の橋の手前で小さなヤードに到着します。か細いレール、草むした道床、朽ちたガソリン計量器、線路上に放置されたタンク車…私が訪れたときにはすでにこの専用線の使命は終わっていましたが、おそらく現役時代はさぞ素晴らしい鉄道情景が展開されていたのではないかと想像されます。
 
 
西武鉄道安比奈線(08)
  埼玉県川越市
 
1925.02.15  南大塚〜安比奈間開業
1949.05.02  電化
1967 頃  休止
 
 埼玉県川越市にあるこの小さな砂利運搬線は、大船のドリーム交通モノレール線、奥多摩の水根貨物線と並んで、この手の世界ではもっともポピュラーな存在なのではないでしょうか。
 西武新宿線南大塚駅から分かれた線路はまっすぐ河原へと続き、レールもほぼ全線にわたって残っています。終点の安比奈駅跡には、無数の朽ちた木製架線柱が空へ向かって屹立し、大きな水たまりが流れる雲を映していました。将来的にここを西武新宿線の車庫とする計画が進んでいるようですが、国道16号線の横断問題など、実現に向けて解決しなければならない課題も多く、いまだに着工には至っていないようです。
 
 
米軍相模補給廠専用線(09)
  神奈川県相模原市
 
1949.12.20  進駐軍が旧日本軍の相模陸軍造兵廠を接収
1959 頃  専用線の使用を一時休止
1969.08.20  使用再開
1974 頃  使用停止
 
 JR横浜線矢部駅の近くに残る米軍の専用線の跡。詳しい経緯は不明ですが、日本の敗戦後に旧日本陸軍の造兵廠を進駐軍が接収、「在日米陸軍総合補給廠」として使用を開始したときに敷設されたもののようです。その後、物資の運搬がトラック輸送に切り替えられたため、1959年(昭和34年)頃から10年間ほど専用線の運行は一旦休止されています。しかし、交通事情の悪化により1969年(昭和44年)から再び使用を開始。このとき沿線では、危険物資の輸送、基地の騒音振動により市民生活がおびやかされるとして、激しい反対運動が起こったと聞きます。
 現地を訪ねたのは、1994年(平成6年)の秋。戦後日本の重い歴史を背負った専用線は、団地の片隅にひっそりと眠っていました。
 
 
国鉄下河原線(11)
  東京都府中市
 
1910 頃  国分寺〜下河原間開通(東京砂利鉄道)
1920.05.26  国に買収
1976.09.20  廃止
 
 JR中央線の国分寺駅から分岐して下河原駅へ至る支線(通称下河原線)の歴史は大変古く、1910年(明治43年)に当時の東京砂利鉄道が、多摩川で採取した砂利の運搬を目的として貨物専用線を建設したのが始まりだと言われています。その後、1920年(大正9年)に国に買収され、中央本線の支線に編入されました。
 現在、下河原線の北府中駅以南の区間は遊歩道として整備され、比較的容易に廃線跡をたどることが可能です。途中、モニュメントとして遊歩道のタイルの間に埋め込まれた2条のレールが、ここにかつて鉄道が走っていたことを何よりも雄弁に物語っていました。
 
 
入川の林用軌道(12)
  埼玉県大滝村
 
1929 頃  敷設
1969 頃  使用停止
1983 頃  発電所工事のため一時的に復活
 
 秩父鉄道三峰口駅からさらに奥へ入った入川というところに、木材の搬出や発電所の資材運搬のために敷設された森林軌道の跡があります。現在、かつての軌道敷はレールや枕木もそのままに登山道として利用されていますが、山を一つ越えた西沢渓谷のそれと違って、途中ですれ違う登山客もなく、実に好ましい雰囲気でした。
 
 
荒川沖自衛隊専用線(13)
  茨城県土浦市/阿見町
 
 −  敷設、使用停止時期不明
 
 JR常磐線荒川沖駅にあるこの陸上自衛隊の専用線のことは、正直言ってあまりよく分かりません。手元の資料によると、既設の道路に沿って霞線2.7km、霞西線2.3km、倉庫前積み卸し線1.8km、朝日線1.5km、縦ホーム線0.2kmの計8.5kmの路線があったようです。
 私が訪れたときは、そららの路線の大半はすでに撤去された後で、専用線時代の面影はほとんどありませんでしたが、霞線から分岐する朝日線のみ、路盤とレールの一部が残っていました。
 
 
奥多摩湖ロープウェイ(15)(16)
  東京都奥多摩町
 
1961 頃  川野〜三頭山間開業
1964 頃  休止
 
 青梅街道から奥多摩周遊道路に入り、車でしばらく走ったところにそれはありました。1960年代に小河内観光開発という会社が営業していたロープウェイの廃墟。やぶをかき分けて滑りやすい急斜面を登って"かつて"三頭山駅であった建物へ行くと、そこはまさしく無人と静寂が支配する場所でした。駅の裏手へ回り、屋上の展望台へと上がろうとしましたが、無数の木の根にゆく手を阻まれました。見ると大きな樹木が建物全体に覆い被さるような形ではり出しており、ほとんど「ラピュタ」状態になっています。自然が人間界を飲み込もうとする瞬間を垣間見たような気がしました。
 
 
いろは坂のケーブルカー(17)(20)
  栃木県日光市
 
1932.08.28  馬返〜明智平間開業(日光登山鉄道)
1947.06.01  東武鉄道に合併
1970.04.01  廃止
 
 日光のいろは坂を登っていると、向かい側の山中に大きなトンネルが2つ、ぽっかりと口を開けている姿を望むことができます。これがそのトンネルの正体。かつて馬返〜明智平の間を結んでいたケーブルカーの遺構です。
 以前はふもとの国道120号線沿いに馬返駅(ここで日光軌道線と接続)の跡が荒れるがままに放置されていたそうですが、我々が訪れたときには駅舎はすでになく、また山頂の明智平駅の建物はドライブインに転用されていました。
 
 
【参考文献】
和久田康雄『私鉄史ハンドブック』電気車研究会 1993年
丸田祥三『棄景』宝島社 1993年
宮脇俊三『鉄道廃線跡を歩く』JTB出版局 1995年
宮脇俊三『鉄道廃線跡を歩くIV』JTB出版局 1997年
湯口徹『からっ風にタイホーンが聴える(下)』Rail No.20 1987年
『トワイライトゾーンMANUAL』ネコ・パブリッシング 1992年
『トワイライトゾーンMANUALII』ネコ・パブリッシング 1993年
『トワイライトゾーンMANUALIV』ネコ・パブリッシング 1995年
『レイル・マガジン』No.82〜 ネコ・パブリッシング 1990年〜
 
【使用機材】
ニコンF4S/ニコンNewFM2/コニカHEXER/キヤノンEOS55

 


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